高照姫命とは?

 

下照姫命は、阿遅鉏高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと)の妹神としてよく知られています。しかし、高照姫命(高照光姫とも書く)は、どうかと言うと知らない人が多いです。「たかてるひめのみこと」と読みます。

 

実は、事代主命の妹神です。

 

『先代旧事本紀』の記述

 

『先代旧事本紀』には大己貴命の娘神として書かれています。

 

葛木御歳神社 拝殿  奈良県御所市東持田269

 

 

"大己貴神の子は、合わせて百八十一柱の神がおられる。

 

宗像の奥都嶋におられる田心姫命を妻として、一男一女をお産みになった。

 

子の味鉏高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)は、倭国葛木郡の高鴨社に坐す。捨篠社とも云う。

 

味鉏高彦根神の妹は下照姫命。倭国葛木郡の雲櫛社に坐す。

 

次に、辺都宮におられる高津姫神を妻として、一男一女をお産みになった。

 

子の都味歯八重事代主神は、倭国高市郡の高市社に坐す。または甘南備飛鳥社とも云う。

 

都味歯八重事代主神の妹は高照光姫大神命倭国葛木郡の御歳神社に坐す。"

高照姫命だけ、「大神」の称号がついています。

 

それほど偉大なる女神だったのです。

 

 

出雲大社の本殿客座5神にも

 

こう書きますと、客座5神は天之御中主神・高御産巣立日神・神産巣立日神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神であり、高照姫命は含まれていないと思われると思います。

 

しかし、これは現在の話であり、江戸時代の書物には高照姫命の名が書かれています。

 

例えば、江戸時代中期の地誌『雲陽誌』の杵築の大社の記事の抜粋です。

 

"卽大己貴大神をまつる、日隅宮是なり、味耜高彦根命 下照姫命 事代主命 高照光姫命 建御名方命 五神を客座にまつる、"

江戸時代は、大国主命は子供たちと一緒に祭られていたのです。

 

 

天孫族との結婚

 

籠神社(このじんじゃ)京都府宮津市字大垣430 「元 伊勢」とも呼ばれています。

 

 

【海部氏勘注系図】 巻首

 

京都府宮津市 籠神社の宮司家、海部氏(あまべし)の所蔵する海部氏系図ですが、出雲族とのつながりも書かれています。

 

最古の系図として昭和51年(1976年)6月国宝に指定されています。

 

『籠名神社祝部氏係図』と、『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』(以後「海部氏勘注系図」と称す)から成っています。

 

下記が『海部氏勘注系図 巻首』の抜粋です。

 

海部光彦編『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』を参考にわかりやすい文章にしました。

 

始祖 彦火明命

 

 またの名 天火明命 またの名 天照國照彦火明命 またの名 天明火明命 またの名 天照御魂命。

 

 この神は正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊の第三の御子にして、母は高皇産霊神の娘 栲幡千々姫命です。

 

彦火明命が高天原に坐しし時、大己貴神の娘―天道日女命をめとって天香具山命を生みます。

 

 天道日女命はまたの名 屋乎止女命と云います。

 

大己貴神は、多岐津姫命、またの名 神屋多底姫命をめとって、屋乎止女命、またの名 高光日女命を産みます。

 

ここに火明命は佐手依姫命をめとって穂屋姫を産みます。

 

 佐手依姫命は,またの名 市杵嶋姫命、またの名 息津島姫命 またの名 日子郎女神です。

 

ここに書かれていることは記紀神話には書かれていないことです。

 

まとめると、

 

①ニニギノミコトが日向に降臨する前に、天火明命は、高天原に居るとき、出雲族の頭領の娘である高照姫命をめとっています。

 

②大己貴神は、宗像族の、多岐津姫命(又の名 神屋多底姫命)をめとって高光日女命(高照姫命)を生みます。(ここは『先代旧事本紀』に書かれていることと同じです。)

 

③高光日女命(高照姫命)の又の名は、天道日女命、屋乎止女命です。

 

④火明命は、高照姫命とは別に、宗像族の市杵嶋姫命(又の名 佐手依姫命、息津島姫命、日子郎女神)をめとります。

 

⑤高照姫命は、古代豪族 尾張氏の祖 天香具山命を生んでいるので尾張氏の母祖にあたります。

 

(天道日女命ともいうので、もしかすると紀国造家─神皇産霊命の五世孫の天道根命─のいにしえの母祖なのかもしれません。)

 

賀夜奈流美命=高照姫命説

 

『出雲國造神賀詞』に、

 

"賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神登貢置天"

 

とあります。

 

出雲の代表的な神々が、ヤマト王権の王都の周りに鎮座して、都を守るという主旨の「出雲国造神賀詞」です。

 

これに登場する聞き慣れない「賀夜奈流美命」(かやなるみのみこと)が、どの神なのか、様々な説があります。

 

室町時代の『和州五郡神社神名帳大略注解』(『五郡神社記』と略される)や『大三輪社勘文』(1712年)には、賀夜奈流美命は高照姫命のことと書かれています。

 

 

高照姫命を祭る山陰の神社

 

現在、高照姫命を主祭神で祭る神社は、全国的にも見つけるのが大変難しいです。出雲地方には全くありません。

 

一般的には、祭神は時代と共に変わるものなので、元々の祭神を推察するのも困難な話です。

 

とりわけ高照姫命は記紀神話に登場せず、古事記には下照姫命の別名として「高比売」として書かれたので統合されたのかもしれません。

 

『古事記』では、高比売はこのように書かれていて、下照姫命となっています。

 

この大国主神、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命を娶して生める子は、阿遅鋤高日子根神。次に妹高比売命。亦の名は下光比売命

 

この高比売命と下照姫命が別の女神であり、高比売命が高照姫命だと仮定して神社を探すと、山陰には4つの神社が浮かびます。

 

大穴持御子神社(おおなもちのみこのかみのやしろ)

 

大穴持御子神社(三歳社) 島根県出雲市大社町杵築東宮内226−1

 

 

出雲大社の境外摂社です。式内社 大穴持御子神社とされている神社です。

 

現在の祭神は、事代主神 高比賣命 御年神 です。

 

江戸時代には、出雲大社本殿内に祀られていた事代主命、高照姫命の兄妹神ですが、こういう形で出雲大社より離れた場所に祀られている格好になります。

 

神社前の説明板によると、後世、御年神を合祀して、三歳社というようになったそうです。

 

想像ですが高照姫命つながりで、奈良の葛木御歳神社から御年神が勧請されたのでしょうか?

 

蚊屋島神社

 

蚊屋島神社 鳥取県西伯郡日吉津村日吉津354

 

 

現代の祭神は、祭神 天照皇大神、高比売命(たかひめのみこと)ですが、『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年発行)を読むと、元々の祭神は高照姫命でないかと思ってしまいます。

 

"創立年代詳ならざれども、当社は旧天照高比売命を祀りしとの口碑あり。

 

然るに社領証文を始め棟札及び神主裁許状などによれば日吉津村大神宮とも伊勢宮とも、又後には天照皇大神宮とも記して、専ら天照皇大御神を祀りしが如くに見ゆ。

 

是れ天照の字に泥み天照大御神と思ひ誤りて大神宮とも伊勢宮とも唱えしものか。

 

此故にや美濃村舊家進氏の雑集紀に「日吉津大神宮の祭神往古と今と相違有之」と云えり。

 

※ 進氏とは、紀氏の末裔です。

 

かく祭神に相違を来たせしも古よりの口伝の捨て難くてか、嘉永の社帳以後は天照高比売命をも合せ祀りしものと思はる。

 

伯耆誌に「郡中顕要の社なり社殿に祭神 天照大御神豊受姫命と記し、衣川氏の作るれる祝詞も(田蓑日記に見ゆ」

 

右の趣なれど確徴ある事を聞かず、又天乃佐奈咩神と佣称するは前年或人三代実録に因りて設けたる説なりと云へり。

 

今按ずるに三代実録に元慶七年十二月二十八日庚申伯耆国正六位上天照高丹治女神云々授従五位下とある神にはあらざるか。

 


此神は古事記伝に大己貴命の御子高比売(一名下照比売命)にやとあり。

 

若し然らば天照の文字より誤り伝へて後世伊勢大神宮と称するにや、此他考ふる所無し」と云えへり。

 

又旧神職田口家氏の伝へに、代々弓射る事と雉子の肉を食ふ事を厳く禁ず(当社の氏子鹿の肉を食はずとの伝もあり)

 

之れ天若彦の古事に因みてなるべし。

 

今上の祭神より考ふるに豊受姫命、大年神、天栲萬幡豊秋津姫命、天手力雄命、級長津彦命、月夜見命、猿田彦大神、天太玉命、神倭姫命は天照大御神を主神とせるより祀りしなるべく、

 

大己貴命、事代主神、賀夜奈流美神(以上嘉永以後の社帳に拠る) 天若彦神は天照高日女神を主神とせるより合せ祀りしものならんか。

 

されば当社の祭神は昔は天照高日女神なりしを、何時の頃よりか誤り伝へて天照大御神と変りしも、古き伝への捨て難く天照高丹治女神をも合せ祀ることとなりて主神二柱となりしならんかと云へり。”

 

天照高丹治女神

 

天照高丹治女神が、蚊屋島神社の元々の祭神とすると、「丹治」は、「丹波を治める」という『海部氏勘注系図 巻首』に登場する天道日女命(高照姫命の又の名)につながります。

 

天道日女命は、『丹後風土記』にも登場する神です。

 

爾保都比売命(にほつひめのみこと)

 

また或いは、この「丹」は、『播磨国風土記』に登場する「爾保都比売命(にほつひめのみこと)」と同一視される「丹生都比売命(にうつひめのみこと)」をも想起させます。

 

(丹生都比売命は、大国主命の別名とされる国堅大神の子です。) 紀伊の高野山の女神です。

 

海部氏系の明石国造にのりうつり、神功皇后に託宣を行なう偉大な女神なので、もしかすると、爾保都比売命は、高照姫命の別名なのかもしれません。

 

高野女神社

 

高野女(このめ)神社 鳥取県西伯郡南部町高姫

 

 

 

高姫」という地名があります。「寛政7歳」という江戸時代の古い鳥居が見られます。

 

現在の祭神は、倭姫命です。

 

『伯耆誌』(1858年)に、ここの神社の記載あり、ここの祭神も「天照高比賣命」でなかったかと推察しています。

 

産土神加茂大明神 在宮前村  摂社 高野目大明神 社方四尺

 

村中に在り又高賣高女に作てコノメと称す。

 

三代実録に見えたる當國天照高比賣命にてこれを誤り傳ふるかと思わるれともコの下にノを呼ふを思えば然るべからず。

 

社傳に倭姫命とするは由なし。何れとも古名と聞ゆれと傳なし。天照高比賣命のことは尾高及ひ日吉津村の下に記す。(『伯耆誌』)

 

内神社

 

内(うち)神社(高野宮) 島根県松江市大垣町746

 

 

神社名から、元は古代豪族紀氏の原系 内臣の神社だと推察されます。

 

現在の祭神は、和加布都努志命・下照姫命となっていますが、高野宮というのは、高姫命の宮という意味から来ています。

 

『出雲国風土記』(733年)にも、すでに「女心高野」(安心高野という説もあり)の頂上に鎮座していたとの記述があります。紀州の高野山とも何か関係があるのかもしれません。

 

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